Risk

心の日記

時間にシビアな日本人

 

電車が遅延した。

目の前のおじさんが時計を見ながら舌打ちした。となりのおばさんは寝始めた。若い人はスマホを使って時刻表を見直している。

たまに自分も電車の遅延で頭を悩ませられることがある。外国の人がどうとかはあまりわからないけど、日本人は時間に敏感すぎる。

 

電車が遅延したら、なにも対処できない。たくさん動いても大きな箱の中。みんなそれぞれ電車が動くまで待つしかない。だけど待つっていうことほどもどかしいものはないんだと思う。それがなにをしたらいいかわかんない時ほど。

さっきの舌打ちおじさん会社がどこかに電話をし始めた。電車〜でみたいな。電車の中での通話はマナー違反とされる。彼はそれを知らないわけではない。知ってる上で電話をしている。

 

この世におけるマナーやモラル、常識というものは、絶対的な存在ではない。電車の中での通話が良い例だが、時間や場所、背景など状況にによって覆されることは多い。この社会で当たり前とされることは、多くの人から賛成を得られるマジョリティであり、全体という単位で考えたときの利が大きいということだろう。しかし、個々の欲望に焦点を当てた時、マナーやモラルといった常識は帰って弊害となる。

 

生きたいように生きることができない社会に生きるという極論をとると、何ともヘンテコな社会に俺たちは生まれてきたんだな。

 

時間に迫られ、空間に迫られ、人間に迫られ、あーギャバたべよ。

 

虚しい光

 

今、電車に揺られて、熱海に向かってる。

こんなに長い時間電車に乗ったことない。

ふと思う、今、自分と同じ目標を掲げてる人たちは何をしてるんだろうって。

同じ車両の人の数は少ない。仕事へ学校へ、みんなそれぞれ向かったんだろう。頑張っている人がいる、その中で自分は時間を無駄にしているんじゃないか、そう考え出したら、この世界の光が虚しく見えた。

 

自分が、生きる瞬間瞬間に価値を見出せたら、その世界は暗くても、きっと美しいと思う。

逆に、自分は何してんだろって価値を見出せなかったら、世界が明るくても、きっと虚しいもの。

 

自分の気持ちひとつで世界がかわる。

世界は回り続ける、そして動き続ける。

そしたら、美しい世界を見続けたい。

だけど、きっと虚しい世界があるから、美しい世界があるんだとおれは思う。裏がなければ表は存在しない、そんな関係みたいに。

 

今、悩み、葛藤することは無駄じゃないと思う、いや、思いたい。この行き止まりのような感覚が、ゴールへ向かう足になるって。

たまに思う、無の世界にのまれたいって。

厨二くさいな(笑)

でも、ほんとにそう思う。何も考えずに、何にも縛られずに、全身全霊を委ねるように無の世界に飛び込みたい。なんで?って聞かれれば、うまく説明できないけど、この世界に生きている負担を緩和したいって感じかな。ストレスだけ現実世界においてきて、無の世界でありのままを解放したいって感じ。この世界はきっと窮屈。だけど、みんなそれを知ってて、なお、生きようとする。

 

なぜか俺にもわからないけど、それ以外の価値が窮屈な世界より勝るからだと思う?愛、友情、権威、金、地位、性欲、食欲、たぶん他にももっとあると思う。

 

なんで生きたいの?そう聞かれたらだいたい答えは自分以外の対象に限られる。最も多いであろう、愛する人のため。自分が自分のために生きることってどんなことかな。

この世界は、一人で生きていけないという言葉の本当の背景にあるのは、助け合いなどではなく、一人では生きる価値を見出せないからだと思う。自分のために生きること、本来はそれが自然の在り方だと思う

 

本当の意味で自分のために生きる。

それはこの世の中で生きる最大の課題だと思う。

 

虚しい光はこの世に溢れてる

不安から考える社会

 

今までブログというものをやったことがなかったけど、ふと、やってみようってなった。

いま、ブログってたくさんあるんだね。

どれにしようかわかんなかったから、仲良い後輩のブログと同じやつにした。

 

ブログ始めようと思った理由はいくつかあるけど、大きかったのは、その時の思いや喜怒哀楽を残して置きたい、ってことかな。あとは一人で静かに考えるためのノートみたいな感じ。

昔の日記を手に取ると、思い出が一時的に蘇る。写真だけでは思い返せないものが、文字や言葉から連想できる。良いことも悪いことも。

 

このブログもそういう役割を担えたらいいな。

 

今は勉強してる、将来のために。でも、コツコツと継続できないところが俺の苦手なところ。今まであまり失敗してこなかった人生だから、なんとかなるって思うんだろーね。きっと。

将来どーなってるかな、就職できてるのかな、彼女と別れてないかな、一人で暮らしていけるのかな、幸せなのかな、不安しかない。

 

今は生きやすい社会になったって、よく聞くけど、どーなんだろーね。昔と比べて個人の選択権も自由権も広がって平和主義を掲げる国々が増えたけど、それって上辺の生きやすさじゃないのかな。俗に言う命の危険はない暮らしってやつ?でもさ、今の時代当たり前のようにほとんどの人が大学行って、就職して、結婚するっていう流れにしがみついてる。その流れの名前は常識っていうんだろうな。一方で、流れに沿わずに、もしくは沿えずに生きていく人々にとってこの社会は生きにくいんじゃないのかなって思う。

 

まぁ、結局何が言いたいかっていうと、一人一人が本当にやりたいことっていうのを追求しにくい時代なんだと思う。何歳までにはこうしている(いなければならない)っていう、見えない規範が、社会に蔓延してるからね。

 

いいじゃん、結婚しなくても。

いいじゃん、働くなくても

いいじゃん、高校なんていかなくても。

いいじゃん、ずっと一人でも。

 

こういった言葉を、すんなりと受け入れる事が出来る人ってわずかだろうね。同時にこの言葉に沿う人間を無意識に敬遠してる人が圧倒的に多いだろうね。だから、みんなで生きていく社会は、常識という名の流れに沿わないと生きにくいんだろうな。

 

上に書いた四つの言葉に共通しているなって思ったこと、リスクを避けて苦労を先延ばしにしてること。単純な考えだけど、結婚は恋愛とかお見合いとかから始まる。ある程度は失敗というリスクを背負って、努力するもの。友達だってそう。最初の段階は、頑張るものだと思う。自分の伝えたいことだけ伝えてても意味ないし、聞くっていうことは頑張ることだと思う。

高校、大学とかも勉強とか努力しなきゃいけないよね。こういったことの頑張るから逃げてると、いつかはまたその分苦労する。

 

頑張る時は頑張るべきかな。後々辛くなるからね。逆に言えば今さえ頑張れば、後々楽になるってことだね。でもあくまでこれは想像。今、頑張ってさらに将来頑張らなきゃいけないことももちろんあると思う。

 

ほとんどの人が、生きやすい社会を目指して、常識という流れにしがみつこうとしている。それこそが生きにくい社会なんだなって思う。

生きやすい社会なんて、きっと少ないよ。

生きにくいからこそ、社会なんじゃない?

 

なんか長くなっちゃった。ここらへんにしておこうか。何書きたかったか忘れたけど、まぁいいや。多分、毎日更新とかするタイプじゃないから、ぼちぼちだと思う。

 

またね。