Risk

心の日記

閉塞感

 

押し潰されそうな毎日

歳を重ねるごとに感じる

最近、忙しいって思ってた日々も今になっては、今の方が忙しいって感じる

 

でも、瞬間瞬間で錯覚してるんだろうな

ほんとは昔の方が忙しかったのかもしれない

今見えてる世界は今見たいように見る世界

 

就活、卒論、教職、、、

4年生は案外充実してる

あと1年したら、この日々ともお別れと考えると嬉しいようで寂しい

 

みんな何してるんだろう

毎日楽しいのかな

自分の一番の幸せは誰かと話すこと

何の話でも誰とでもいいと思う、いや誰とでもいいは嘘になるかな〜〜

会話してると楽しくなる、特に自分と似た境遇に置かれている人とかはなおさら

 

四年にもなると、学校いっても周りには知り合いが少なくなる。新しい風がもう吹いている

 

早く就活終わったとしても、楽しい時間があるとはなかなか思えない

卒業という決められたリミットがもうそこまできている後は楽しむだけ

だけど何をしていいのか分からない

時間を無駄に使うことが嫌いな自分にとって、幸せと感じることは誰かと一緒にいることだと思う

自分が大切だと思える人、友達とか恋人とか先輩とか後輩とかと一緒にどこかへ向かいたい

それは遊びとかじゃなくてね

 

今、大切な人から連絡がさみしい感じ

きっと向こうも忙しいんだろうな

自分もそうだし、フォローしにくい

 

きらきらしている日々をまた送りたい

戻れることなら2年前くらいに戻りたい

自分にとって最高にきらきらしてた時期

仲間と喜怒哀楽を共有して、共に目指したゴール、そのゴールのためなら、何してもどんだけ寝なくて辛くても楽しかった

 

親がよく言う、青春は今だけって言葉も今なら分かる気がする

その時はきっとリミットって考えじゃなくて、ゴールっていう考えなんだろうな

 

考え方1つで変わってくる日々の質

 

そう考えてると、夜に吸うタバコが久しぶりに自分を苦しくさせた気がした

まだ僕にはいろんな意味で重そうだ

身近な将来

 

今週は2日間旅行してきた。勉強という一定のリズムを崩すことに、少し抵抗があったけど、次のやる気につなげればいいやって思った。

栃木は標高がある程度高い分、寒いと感じた。最初はまったり旅行のはずだったけど、なんだかんだでいろんなとこに行った。平日だから空いてたし、学生は少し安いし、いいね〜。宿泊施設の眺めも最高だった。結果楽しかった。

 

旅行とかって、自分と違う人が同じ空間を共有したり、行動を共にするけど、これが長期的に続くとどうなるんだろ?って最近はよく考える。ま、同棲とか結婚とかの類い。

 

そう考えるようになったのも、地元のある人の話を聞いたからだと思う。その人は近々結婚するって言ってて、身近で結婚するって人は初めてだったからびっくりした。

 

自分はこれからどうするんだろう、このままこの人と結婚するんだろうか、結婚していいんだろうか、そして出来るのか。でも一番考えるのは仕事の関係で離れ離れになった時、どうするかってこと。仮にある程度の収入があって、安定してても、こっちにこいって言えないと思う。その人の人生はその人のものだし、それをなんか奪うみたいで、、、

 

その話をよく友人と話す。友人は、親の目線で考えると反対かなって言ってた。せっかく手間暇かけてお金も時間も費やして、育てた娘がただわけもわからない人に将来を託すってなんかもったいないって話してたな。確かに納得したし、結婚してる人ってどういうことを考えて、その決断に至ったのかってことが気になる。

 

もうそういうことも考えなきゃいけない年齢なんだよね。忘れてた自分の歳を、思い出した一週間だった気がする。

 

とりあえず、まずは勉強頑張ろ。

彩り

 

今日はたくさん笑った。

朝から夜までずっと笑ってた。

ここ最近で一番笑った気がする。

朝に友達と会って勉強して、昼はまた違う友達ともたまたま会ってご飯をたべて、また友達と勉強して、夜にまたまたまた友達とご飯を食べる。なんか家から一歩出るだけで、その時間の価値がぐっと高まる気がする。でも、きっとそう思えるのはマイナスの側面があるから。

バネの反発みたいに、負担をかけた分だけ、見返りは大きい(と感じる)だから、きっとゴロゴロしてて友達と会って、ご飯食べてもあんまり楽しめないのかもって思う。勉強したからってのは少しはあるのかも。

 

今日はスーツの人が多かった。

きっとみんな終活してたんだろうね。

私服でいる自分が少しうしろめたい気持ちになった。少数派だからかな〜?

やってることは変なことではないのにね〜

電車で席をゆずるみたいな感覚(笑)

 

人間っていいな。ほんとに。

いろんなとこあるし、嫌いなタイプとかもあるけど、そんなん関係なしに、人は好き。

ありふれた日常のふとした隙間に、小さな幸せが舞い込んでくる。そんな時はきっと隣に大切な人がいる。きっと人間に与えられたご褒美みたいなかんじなのかな、そんな気がするな。

 

一緒に話せる人がいる。

一緒に過ごせる仲間がいる。

一緒に笑える友がいる。

 

それだけで、この世はきれいな色で描かれる。

今は幸せな気分だから、前向きに書いてみた。

 

だけど明日は何色になるのかな。

 

仲良しティッシュ

 

ここ数日で風邪をひいてしまった。

初期症状は喉の痒み、その後は鼻水祭り。

サラサラの鼻水はやっかいなもので、かんでもかんでも止まることはない。だから自分の周りのティッシュの量は異常なくらい。すするわけにはいかないから、ティッシュを手放せない。今日は療養のため1日寝てたら、さらさらからネバネバになったから、鼻をかんでるなっていう感覚を取り戻した(汚い話でごめんね)

明日には治ると思う、ていうか思いたい。

 

一日中、ゴロゴロしてると、勉強しなきゃって今はすごい焦る。でも治すほうに専念しないと結局遠回りすることになる。そんなこと考えながら、月を見ながらタバコに火をつける。

夜に漂う小さな煙は、いろんなことを考えさせてくれる。タバコを吸うことは風邪の治りを遅くする。やめられないものに優先順位なんてつけられない。それが優先されないことなんてかいからね〜

 

もう0時を超えた、もう2月も終わりだ。

月日が経つのは早い、光陰矢の如し。

今は少ない時間を大切にするだけ。

 

そういえば、高校の頃好きだった人から会おうって言われたのは嬉しかったな。自分がこれまでに本当に好きになった人のうちの一人。だから、その人には冗談でも可愛いとか言えない(笑)そして、きっと変に緊張しちゃう。

 

今は大切にしたいって思える人がいるから、付き合いたいなっていう感覚にはならないけど、今でもこれからも好きなんだろーなって思う存在。自分の中ではさ、大切にしたいって思えるのは一緒にいた時間に比例してると思う。だから自分と長く付き合ってるAさんが、自分が(顔とか性格とかで)好きになったBさんCさんとかに超えられることはまずないと思う。批判は多いと思うけどね(笑)まぁ、だから自分自身好きな人は多いと思う、彼女以外でね。でもきっとその人達とは付き合うことはない。あいつを悲しませたくないから。

 

恋ってさ、自分が自分じゃないような感覚になることだと思う。

 

長く付き合ってるとお互いに自分がこうしたいっていう自我と自我のぶつかり合いになるけど、最初はきっと違うはず。

 

アイデンティティの喪失は恋の第一歩

時間にシビアな日本人

 

電車が遅延した。

目の前のおじさんが時計を見ながら舌打ちした。となりのおばさんは寝始めた。若い人はスマホを使って時刻表を見直している。

たまに自分も電車の遅延で頭を悩ませられることがある。外国の人がどうとかはあまりわからないけど、日本人は時間に敏感すぎる。

 

電車が遅延したら、なにも対処できない。たくさん動いても大きな箱の中。みんなそれぞれ電車が動くまで待つしかない。だけど待つっていうことほどもどかしいものはないんだと思う。それがなにをしたらいいかわかんない時ほど。

さっきの舌打ちおじさん会社がどこかに電話をし始めた。電車〜でみたいな。電車の中での通話はマナー違反とされる。彼はそれを知らないわけではない。知ってる上で電話をしている。

 

この世におけるマナーやモラル、常識というものは、絶対的な存在ではない。電車の中での通話が良い例だが、時間や場所、背景など状況にによって覆されることは多い。この社会で当たり前とされることは、多くの人から賛成を得られるマジョリティであり、全体という単位で考えたときの利が大きいということだろう。しかし、個々の欲望に焦点を当てた時、マナーやモラルといった常識は帰って弊害となる。

 

生きたいように生きることができない社会に生きるという極論をとると、何ともヘンテコな社会に俺たちは生まれてきたんだな。

 

時間に迫られ、空間に迫られ、人間に迫られ、あーギャバたべよ。

 

虚しい光

 

今、電車に揺られて、熱海に向かってる。

こんなに長い時間電車に乗ったことない。

ふと思う、今、自分と同じ目標を掲げてる人たちは何をしてるんだろうって。

同じ車両の人の数は少ない。仕事へ学校へ、みんなそれぞれ向かったんだろう。頑張っている人がいる、その中で自分は時間を無駄にしているんじゃないか、そう考え出したら、この世界の光が虚しく見えた。

 

自分が、生きる瞬間瞬間に価値を見出せたら、その世界は暗くても、きっと美しいと思う。

逆に、自分は何してんだろって価値を見出せなかったら、世界が明るくても、きっと虚しいもの。

 

自分の気持ちひとつで世界がかわる。

世界は回り続ける、そして動き続ける。

そしたら、美しい世界を見続けたい。

だけど、きっと虚しい世界があるから、美しい世界があるんだとおれは思う。裏がなければ表は存在しない、そんな関係みたいに。

 

今、悩み、葛藤することは無駄じゃないと思う、いや、思いたい。この行き止まりのような感覚が、ゴールへ向かう足になるって。

たまに思う、無の世界にのまれたいって。

厨二くさいな(笑)

でも、ほんとにそう思う。何も考えずに、何にも縛られずに、全身全霊を委ねるように無の世界に飛び込みたい。なんで?って聞かれれば、うまく説明できないけど、この世界に生きている負担を緩和したいって感じかな。ストレスだけ現実世界においてきて、無の世界でありのままを解放したいって感じ。この世界はきっと窮屈。だけど、みんなそれを知ってて、なお、生きようとする。

 

なぜか俺にもわからないけど、それ以外の価値が窮屈な世界より勝るからだと思う?愛、友情、権威、金、地位、性欲、食欲、たぶん他にももっとあると思う。

 

なんで生きたいの?そう聞かれたらだいたい答えは自分以外の対象に限られる。最も多いであろう、愛する人のため。自分が自分のために生きることってどんなことかな。

この世界は、一人で生きていけないという言葉の本当の背景にあるのは、助け合いなどではなく、一人では生きる価値を見出せないからだと思う。自分のために生きること、本来はそれが自然の在り方だと思う

 

本当の意味で自分のために生きる。

それはこの世の中で生きる最大の課題だと思う。

 

虚しい光はこの世に溢れてる

不安から考える社会

 

今までブログというものをやったことがなかったけど、ふと、やってみようってなった。

いま、ブログってたくさんあるんだね。

どれにしようかわかんなかったから、仲良い後輩のブログと同じやつにした。

 

ブログ始めようと思った理由はいくつかあるけど、大きかったのは、その時の思いや喜怒哀楽を残して置きたい、ってことかな。あとは一人で静かに考えるためのノートみたいな感じ。

昔の日記を手に取ると、思い出が一時的に蘇る。写真だけでは思い返せないものが、文字や言葉から連想できる。良いことも悪いことも。

 

このブログもそういう役割を担えたらいいな。

 

今は勉強してる、将来のために。でも、コツコツと継続できないところが俺の苦手なところ。今まであまり失敗してこなかった人生だから、なんとかなるって思うんだろーね。きっと。

将来どーなってるかな、就職できてるのかな、彼女と別れてないかな、一人で暮らしていけるのかな、幸せなのかな、不安しかない。

 

今は生きやすい社会になったって、よく聞くけど、どーなんだろーね。昔と比べて個人の選択権も自由権も広がって平和主義を掲げる国々が増えたけど、それって上辺の生きやすさじゃないのかな。俗に言う命の危険はない暮らしってやつ?でもさ、今の時代当たり前のようにほとんどの人が大学行って、就職して、結婚するっていう流れにしがみついてる。その流れの名前は常識っていうんだろうな。一方で、流れに沿わずに、もしくは沿えずに生きていく人々にとってこの社会は生きにくいんじゃないのかなって思う。

 

まぁ、結局何が言いたいかっていうと、一人一人が本当にやりたいことっていうのを追求しにくい時代なんだと思う。何歳までにはこうしている(いなければならない)っていう、見えない規範が、社会に蔓延してるからね。

 

いいじゃん、結婚しなくても。

いいじゃん、働くなくても

いいじゃん、高校なんていかなくても。

いいじゃん、ずっと一人でも。

 

こういった言葉を、すんなりと受け入れる事が出来る人ってわずかだろうね。同時にこの言葉に沿う人間を無意識に敬遠してる人が圧倒的に多いだろうね。だから、みんなで生きていく社会は、常識という名の流れに沿わないと生きにくいんだろうな。

 

上に書いた四つの言葉に共通しているなって思ったこと、リスクを避けて苦労を先延ばしにしてること。単純な考えだけど、結婚は恋愛とかお見合いとかから始まる。ある程度は失敗というリスクを背負って、努力するもの。友達だってそう。最初の段階は、頑張るものだと思う。自分の伝えたいことだけ伝えてても意味ないし、聞くっていうことは頑張ることだと思う。

高校、大学とかも勉強とか努力しなきゃいけないよね。こういったことの頑張るから逃げてると、いつかはまたその分苦労する。

 

頑張る時は頑張るべきかな。後々辛くなるからね。逆に言えば今さえ頑張れば、後々楽になるってことだね。でもあくまでこれは想像。今、頑張ってさらに将来頑張らなきゃいけないことももちろんあると思う。

 

ほとんどの人が、生きやすい社会を目指して、常識という流れにしがみつこうとしている。それこそが生きにくい社会なんだなって思う。

生きやすい社会なんて、きっと少ないよ。

生きにくいからこそ、社会なんじゃない?

 

なんか長くなっちゃった。ここらへんにしておこうか。何書きたかったか忘れたけど、まぁいいや。多分、毎日更新とかするタイプじゃないから、ぼちぼちだと思う。

 

またね。