虚しい光
今、電車に揺られて、熱海に向かってる。
こんなに長い時間電車に乗ったことない。
ふと思う、今、自分と同じ目標を掲げてる人たちは何をしてるんだろうって。
同じ車両の人の数は少ない。仕事へ学校へ、みんなそれぞれ向かったんだろう。頑張っている人がいる、その中で自分は時間を無駄にしているんじゃないか、そう考え出したら、この世界の光が虚しく見えた。
自分が、生きる瞬間瞬間に価値を見出せたら、その世界は暗くても、きっと美しいと思う。
逆に、自分は何してんだろって価値を見出せなかったら、世界が明るくても、きっと虚しいもの。
自分の気持ちひとつで世界がかわる。
世界は回り続ける、そして動き続ける。
そしたら、美しい世界を見続けたい。
だけど、きっと虚しい世界があるから、美しい世界があるんだとおれは思う。裏がなければ表は存在しない、そんな関係みたいに。
今、悩み、葛藤することは無駄じゃないと思う、いや、思いたい。この行き止まりのような感覚が、ゴールへ向かう足になるって。
たまに思う、無の世界にのまれたいって。
厨二くさいな(笑)
でも、ほんとにそう思う。何も考えずに、何にも縛られずに、全身全霊を委ねるように無の世界に飛び込みたい。なんで?って聞かれれば、うまく説明できないけど、この世界に生きている負担を緩和したいって感じかな。ストレスだけ現実世界においてきて、無の世界でありのままを解放したいって感じ。この世界はきっと窮屈。だけど、みんなそれを知ってて、なお、生きようとする。
なぜか俺にもわからないけど、それ以外の価値が窮屈な世界より勝るからだと思う?愛、友情、権威、金、地位、性欲、食欲、たぶん他にももっとあると思う。
なんで生きたいの?そう聞かれたらだいたい答えは自分以外の対象に限られる。最も多いであろう、愛する人のため。自分が自分のために生きることってどんなことかな。
この世界は、一人で生きていけないという言葉の本当の背景にあるのは、助け合いなどではなく、一人では生きる価値を見出せないからだと思う。自分のために生きること、本来はそれが自然の在り方だと思う
本当の意味で自分のために生きる。
それはこの世の中で生きる最大の課題だと思う。
虚しい光はこの世に溢れてる